僕たちは いつか 終わるから 踊る いま

気づいたらSnow Man(Mis Snow Man)応援すること6年目のファンの記録です。深澤くん中心。

自担がいきなり推されたファンの心境

  自担が推され出したのは突然だった。

  忘れもしない、2012年の冬。『ジャニーズワールド』*1のパンフレットで、「え…自担と自担のシンメ(いわふか)の写真だけデカいぞ…(笑)」。 この頃はまだ、(笑)という感想しか出てこなかった。ジャニーズJr.のパンフレットの個人の写真の大きさなど、よほど顕著でない限りはただの編集側の気まぐれである。当時はTwitterもやっていたので*2Twitterの岩本担の友達と「いわふかの時代きたwwwww」とふざけあっていた。
  わたしの担当である深澤辰哉は、Snow Man(Mis Snow Man)の中でもいたって目立たないメンバーだった。信じられないと思うが、いまのような「お笑いキャラ」でもなんでもなく、ただただ「いる」だけのメンバーだった。*3だいたい、立ち位置的にも右端か左端だったので、TVでも見切れることがしばしば。また、舞台『滝沢歌舞伎』で、まわりのSnow Manメンバーが前年の役よりも少し良い役を貰い始めた年もふっかだけ前と同じ、村を焼き払われる農民の役をやっていて、その時ばかりは落ち込んだ。公式で販売される写真もふっかだけ何故かメンバーより枚数が少ないこともあった。そんなこんなで彼が「端にいること」「扱いがすこし悪いこと」にわたしは慣れきっていた。

  推されてからは、あれよあれよと個人仕事が決まっていく。*4いままで仕事あんなに無かったのはなんだったんだ?というくらいに。正直、「まあ、推されるのも今のうちだけだろ…」という気持ちがあった。
  推される、といっても「これまでよりはまともにテレビや雑誌に出るようになった」という感覚だった。Mis Snow Manが解体してしばらく雑誌や少年倶楽部に1年に数回しか出ないという状況があり、そこからなんとか抜け出したという感じだった。それこそ今で言うキンプリのような形の推されではなく、ただなんとなく出るようになったという推され方だったので、「デビューに近づいたな」という感覚も無かった。
  わたし自身がSnow Manというグループが好きということもあり、この時期のいわふか+他のJr.数人での活動はあまり印象に残っていない。ただ、「推されているメンバー以外のメンバーを担当している人たちからの非難」が痛かった。一時期は「岩本と深澤はSnow Manを捨てた」とまで言われて、頭を抱えた。しかし、このような非難もひっくるめて「推される」ということなのだ。推されているのになにも言われてない人などいないのではないかと思う。自分を省みても、推されている人や、推されているグループに対して僻んだこともあれば、非難したこともある。それが思わぬ形で自分に返ってきていたのだと思う。

  「推される」ということは一見、良いことのように感じていたし、以前自担が推されることの無かった時代は憧れていたが、実際は孤独だったように思う。自分の担当の仕事を素直に喜べない時もあり、そんな自分にも悲しくなった。端にいたにも関わらず、いきなり真ん中に祭り上げられた深澤くんについていくのに必死だった。そして深澤くんも必死だったように思う。推されているピークである2013年の滝沢演舞城にて、お誕生日を祝ってもらった際に深澤くんの言った「とにかく頑張ります。」という言葉はわたしの胸に突き刺さっている。とにかく、頑張るしかない。

  最後に言いたいことは、歌やダンスが出来るから推される、顔がいいから推される、などという明確なポイントなどないということだ。あの事務所は、推される時にはいきなり推されるのだ。顔も力量も関係しない。
  そして、推されている人だっていつまで推されるかは分からないということだ。ずっと推されている人もいるだろうが、いつのまにか別の人が推されているなんてザラにある。そして、推される予兆などない。推されは突然やって来るということだ。

  推されている本人も推されているファンも、この推されている期間でなにが残せるか?という姿勢になるといいのではないかとおもう。深澤くんが言っていた通り、個人の活動がグループに還元されると思ってやるしかない。実際、いわふかの個人仕事は、Snow Manに少しは還元されたのではないかなと、わたしは思っている。*5


*1:この年が初演でした

*2:現在はやっていません

*3:私的見解です。あしからず…

*4:2012冬から2014春あたりまでだったように感じる

*5:あくまでもわたしの意見ですが…